大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和57年(ワ)304号 判決 1986年1月27日

原告

古田利榮子

右訴訟代理人

木村靖

右訴訟復代理人

小川恭子

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

田中治

外九名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一、五二六万七、〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年三月一〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、訴外亡古田完(以下「亡完」という。)の妻であるが、亡完は、後記のように、滋賀医科大学附属病院において、肺癌の診療を受けていたものである。

(二) 被告は、大津市瀬田月輪町に滋賀医科大学附属病院(以下「附属病院」という。)を設置し、運営しているものである。

2  亡完の診療経過及び本件事故の発生

(一) 亡完は、肺癌の疑いで、昭和五四年二月二一日から附属病院に入院していたが、肺癌の手術可能性を判断するため、同年三月九日に肺血管造影検査(以下「本件検査」という。)を受けた。

(二) 本件検査は、同日午後一時三〇分ごろから、附属病院放射線科心臓カテーテル室において、同病院医師坂本力(以下「坂本医師」という。)、同川西克幸(以下「川西医師」という。)らによつて施行されたが、その検査中、川西医師において亡完のそけい部から穿刺法により同人の大腿静脈内に挿入したカテーテルの先端が右心室流出路に達した際、カテーテルの先端が同所に刺さつて穿孔を生ぜしめ、その部分から血管造影剤を胸腔内に流出させた。(以下「本件事故」という。)

(三) 本件事故により、右流出液を除去し、穿孔部分を縫合する必要が生じ、亡完は、カテーテルを固定したまま、急拠放射線部から手術部に搬送され、同日午後三時三〇分ごろから、附属病院医師並河尚二(以下「並河医師」という。)他二名の医師団により開胸手術を受けたが、その結果、右穿孔部分からカテーテルの先端が突き出ていることが確認され、右穿孔による流出液約五〇ミリリットルを除去するとともに、右穿孔部分を二針縫合した。(以下「本件開胸手術」という。)

3(一)  本件事故により、亡完は、右心室流出路穿孔の傷害を負い、心臓付近に血管造影剤が流れ、放置すれば死に至る状態にさせられたうえ、本来不要であるべき本件開胸手術を急拠受けざるを得なくなり、その結果、以下のように身体状態が悪化した。

(二)  亡完は、本件開胸手術を受ける前は健康人と変わらず日常生活ができたが、手術直後は意識不明の状態となり、手で宙をつかんでは口の中に入れるような仕草を繰り返し、高熱も続き、呼吸するのも苦しい状態だつた。この状態は、特別室にいた三日間続き、その後個室に移つて少しは改善された。しかし高熱は下がらず、毎日点滴と座薬を続けていたが、寝汗がひどく、一日何回となく肌着、寝巻の取替が繰り返された。また、痰がからんで咳が出るたびに傷口が痛むために大変苦しんだ。

(三)  大津赤十字病院に転院する時期になつても歩行が困難で、原告の付添により、よろよろと幼児の歩きはじめのような格好でしか歩行できなかつた。

(四)  大津赤十字病院に入院後も微熱が続き、食事が喉を通らず、薬の副作用のため口の中に白い膜ができ、食物を食べると痛く、飲み込むのに苦労した。その後、熱もさほどひどくなくなり、座薬を受けなくてもよいようになつたが、なお一人では正常に歩行できなかつた。この状態は、亡完が附属病院に二回目に入院した昭和五四年五月三〇日ころまで続いた。

4  被告の責任

(一) 主位的主張(債務不履行責任)

(1) 昭和五四年三月九日ごろ、亡完と被告との間で、附属病院において肺血管造影検査を施行することを事務の内容とする準委任契約が締結された。

(2) 附属病院勤務医師であり被告の履行補助者である前記坂本医師、川西医師らは、右契約に基づいて亡完に対して本件検査を施行するにあたり、委任の本旨に従い善良な管理者の注意をもつて本件検査を施行すべきであるのに、その注意義務を怠り、本件事故を発生せしめた。

すなわち、カテーテル法の手技による合併症であつて手術的措置を要するような重大な副障害の中でも本件事故のような動脈の穿孔は数の多いものに挙げられているばかりでなく、本件で穿孔を生じた右心室流出路付近は、血管としては、太くて丈夫な部分であり、蛇行も特に激しいとはいえないところであるのにもかかわらず、心臓カテーテルによる穿孔が右心房に次いで生じやすい部位とされていること、本件穿孔部位は、右心室の中では一番壁の薄いところであること、強い血流を受けるところであること、通路が一直線でなくカテーテルの先端が当りやすい部位であること等からすれば、仮に、本件穿孔部位付近は、カテーテルに人力を加えずに進める部分であるとしても、そこでのカテーテル操作は特に注意を要するというべきであり、血流にカテーテルが乗つて肺動脈方向に上がる時、他の部位にも増して、慎重にカテーテルを保持し、穿孔が生じないようにすべき注意義務がある。しかるに、前記川西医師らは、右注意義務を尽くさず、カテーテルを粗暴に、かつ、慎重を欠いて操作したため、本件事故を生ぜしめたものである。

(二) 予備的主張(不法行為責任)

(1) 前記坂本医師、川西医師らは、国立病院である附属病院に勤務する医師である。

(2) 右坂本医師、川西医師らは、附属病院の事業として亡完に対して本件検査を施行するにあたり、前記(一)(2)と同様の注意義務があるのに、これを怠り、カテーテルを粗暴に、かつ慎重を欠いて操作した過失により、本件事故を生ぜしめた。

5  損害

<中略>

(三) 以上の損害にかかる損害金額は左のとおりである。

(1) 付添看護費 金四一万五、〇〇〇円

(2) 慰謝料 金一、四八五万二、〇〇〇円

6  <省略>

7  よつて、原告は、被告に対し、主位的に債務不履行、予備的には不法行為に基き、金一、五二六万七、〇〇〇円の損害賠償金及び右各金員に対する本件事故発生の翌日である昭和五四年三月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否<省略>

三  被告の主張

1  本件検査の施行及び本件事故の発生<省略>

2  本件開胸手術の施行<省略>

3  本件事故の原因

(一) 本件検査に用いられたカテーテルは先端の丸いものであり、通常のカテーテル操作においては、右心室流出路に損傷を与えるということは考えられないことであり、損傷の起こつた原因は、亡完の右心室流出路付近の壁のぜい弱性にある。

(二) 右ぜい弱性の原因は、以下の三つが考えられる。

(1) 肺癌が右心室流出路付近まで顕微鏡レベルでは浸潤していたこと

亡完の肺癌は、既に隣接臓器に浸潤した第三期癌であり、肉眼的にも縦隔及び大動脈へは強度に浸潤していたこと、癌の部位と本件穿孔部位とは一センチメートル程度の距離が隔たつていただけであること、肺癌には無症候性心のう転移も多いことを考慮すれば、本件穿孔部位にも顕微鏡レベルで癌が浸潤していた可能性が高い。

(2) 肺癌の縦隔浸潤により、心臓壁のリンパ動態に変化が生じ、右心室壁がぜい弱化していたこと

正常であれば貯留量二〇ミリリットル未満であるべき心膜腔内液が前記1(六)のとおり約五〇ミリリットル存在していたことからすれば、亡完の心臓壁のリンパ動態に変化が生じていたことは疑いない事実であり、そのことは、リンパ液の通路が閉塞状態にあることを示すものであつて、このような状態の場合、右心室壁等の組織も浮腫をきたし、ぜい弱化することも十分推定される。

(3) 亡完が特異体質であつたこと

右(1)、(2)の原因が認められない場合には、亡完の特異体質が原因であると考えざるを得ない。亡完に対しては、本件検査施行前に、通常予想されるところの合併症及び特異体質に関する事前の検査はすべて行い、いずれも陰性との結果を得ているが、亡完が特異体質であつたかどうかは、同人に対して行つた右各検査だけですべて把握できるものではないから、同人が特異体質であつたことを完全に否定しきれるものではない。

(三) また、仮に、亡完の本件穿孔部位が必ずしもぜい弱化しておらず、検査担当医師のカテーテルの操作に誤りがなくとも、本件穿孔部位は右心室の中では一番壁の薄いところであること、強い血流を受けるところであること、通路が一直線でなく、カテーテルの先端が当たりやすい部分であること等から、不可避的に穿孔が生じたことも十分考えられる。

4  検査担当医の無過失

(一) 前記1(三)ないし(五)記載のとおり、本件検査において、右心室流出路から肺動脈方向にカテーテルを進めるときは、手で押すという作業は全くせず、血流に乗せてやることにより、カテーテルを人力を加えずに進めるという手法がとられているのであつて、カテーテルを手で保持するのは、カテーテルが反対側に回転しないようにするためにすぎない。

川西医師は、本件検査を行うにあたり、カテーテルを慎重に進め、壁に当たつていないかどうかを透視画面及び手の感触で確認しながら行つていたものであつて、カテーテルを粗暴に、あるいは慎重を欠いて操作した事実はなく、本件検査を行うについての注意義務を尽していたというべきであるから、同医師に過失はない。

(二) また、本件事故の原因として考えられる前記3(一)及び(二)の事情についても、いずれも検査担当医師に予見義務ないし予見可能性はないというべきであるから、検査担当医師らに過失はない。すなわち、

(1) 前記3(二)(1)については、開胸手術の結果によつても、肉眼では右心室流出路付近に癌の浸潤は認められなかつたのであるから、本件検査の前に担当医に予見義務があつたということはできない。

(2) 前記3(二)(2)については、本件の程度の少量の心膜腔内液の貯留は、通常の打聴診、心電図、胸部エックス線単純撮影においても発見できないものであり、従つて検査担当医に予見義務はない。

(3) 前記2(二)(3)についても、亡完の体の一部の特異体質までは、本件検査担当医師としても到底予見できるものではない。<以下、省略>

理由

一請求原因1の各事実は当事者間に争いがない。

二1  請求原因2(一)の事実も当事者間に争いがない。

2  同2(二)の事実のうち、亡完に対して本件検査を施行中、川西医師の操作していたカテーテルの先端が、亡完の右心室流出路に刺さつて穿孔を生ぜしめたとの事実は当事者間に争いがない。

原告は、川西医師らは、右穿孔部分から血管造影剤を胸腔内に流出させた旨主張するのでこの点につき判断する。

成立に争いのない乙第四号証及び川西医師の証言によると、本件事故後、亡完の心膜腔内に、約五〇ミリリットルの貯留液のあつたこと、及び、本件事故の際、カテーテルの位置を確かめるために、カテーテルの先端から血管造影剤二ないし三ミリリットルを注入したことを認めることができるが、右各証拠に、並河医師の証言をあわせると、右貯留液は、非血性あるいは軽度血性の心膜腔内液と認めるのが相当であつて、他に原告の右主張を裏付けるに足る証拠はない。

三次に、本件検査における、検査担当医師の注意義務について検討する。

1  <証拠>によると、以下の事実を認めることができる。

(一)  一般に、腫瘍の診断は、動脈造影の適応のうちの主要なものとされており、造影による異常像から、腫瘍の存在部位、種類、悪性度、手術可能性等を診断することができる。

(二)  本件検査は、七FNIHカテーテルを用い、亡完のそけい部から大腿静脈内にカテーテルを挿入し、右心房、右心室を経て肺動脈及び気管支動脈へ到達させて、肺動脈等の造影を行おうとするものであつた。

(三)  NIHカテーテルは、心臓造影用に作られたカテーテルであつて、細く、しなやかな材質で、先端は閉じ側壁に六個の穴があき、先端数センチメートルの部分に一一〇度程度の曲がりがつけてある構造を有するものであつて、ガイドワイヤーは用いない。

(四)  カテーテルの先端が右心房に達してから、右心室流出路までの間は、心臓内を通過させるため、カテーテルを蛇行させる必要があるが、その操作は、

(1) 右心房に達したカテーテルをゆつくりと進め、その先端が腹側を向くように回転させると、先端の曲がりを利用して、右心室に達することができる。

(2) ここで、二ないし三センチメートルの出し入れをくり返して肉柱のひつかかりをはずしながら、カテーテルに時計方向の回転を加えると、カテーテルの先端が右心室流出路の方向を向く。

(3) その位置でカテーテルを静止させると、右心室から肺動脈に向う強い血流に乗つて、カテーテルの先端が右心室流出路から肺動脈の方向を向く。

というものであり、これによつて、カテーテルを肺動脈に進めることができる。

(五)  心臓カテーテルの操作は、手首の力を抜き、全神経をカテーテルの先端に集中し、繊細な手際で行わなければならないとされており、また、エックス線透視画面上は、カテーテルは写るが、血管は写らないため、透視画面によつて知られるカテーテルの位置と、血管の分布についての一般的知識とを総合して、カテーテルの走行状態を把握し、同時に、カテーテルを保持する手に伝わる感触によつて、カテーテルが血管壁に当たつているか否か等を判断する必要がある。

(六)  心臓カテーテルの合併症としては、刺激伝導障害、穿孔、ショック、発熱等があり、このうち、穿孔は右心房が最も多く、次いで右心室流出路に多いとされているが、その頻度は、四、〇〇〇例に対して右心房で九例、右心室流出路で三例との文献報告がある。ただし、その原因についてはこれを知ることができない。

2 以上の各事実によると、心臓カテーテル検査の全般を通じて、カテーテル操作を担当する医師は、カテーテルの操作を慎重、確実にすることは勿論、透視画面やカテーテルを持つ手の感触、その他、被験者の心電図等にも十分に注意して、穿孔等の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるといわなければならない。

そして、これを右心室流出路付近におけるカテーテル操作について具体的にみると、カテーテルの先端を右心室内で右心室流出路に向けて回転させた後は、カテーテルを慎重に保持し、手指の感触によつて、カテーテルの先端が心臓壁に当たつていないことを確認しつつ、それを右心室内で静止させ、カテーテルが血流に乗つて肺動脈方向に向かうまでは、挿入、回転その他の操作を加えないように注意する義務であるということができる。

3  原告は、請求原因4(一)(2)のとおり、本件事故による穿孔が生じた右心室流出路付近では、特に加重された注意義務がある旨主張する。

しかしながら、一般に、損害を回避する手段のない場合には過失がないとされることからすれば、個別具体の事案における注意義務の具体的内容は、そこで採りうる回避手段の内容によつて決せられるといわなければならないところ、本件において、右心室内でカテーテルをその先端が右心室流出路を向くように回転させた後のカテーテル操作は、前示のように、カテーテルを軽く保持して静止させることに尽きるのであり、かつ、穿孔が生じる危険があることを事前にカテーテルの感触等によつて知ることができると認められるような事情も存しないこと(川西医師の証言によれば、穿孔が生じたことは、穿孔発生後、カテーテルの可動性に欠けることによりはじめて認識されたことが認められる。)などからすれば、前示の注意義務を超えた重い注意義務があるということはできない。

四そこで、右注意義務を前提として、本件検査担当医師らに過失があつたか否かについて検討する。

1 川西医師及び並河医師の証言によれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(一) 本件検査は、医師六名、レントゲン技師ら四名のチームによつて行われ、川西医師がエックス線透視画面を注視しながらカテーテルを操作し、村田医師がこれを介助、三ツ浪医師が心電図及び心内圧の波形を監視していた。

(二) 本件検査は、カテーテルの先端を右心室流出路に向けるところまでは、支障なく経過し、川西医師は、カテーテルを右方向に回転させて、その先端を右心室流出路に向けて軽く保持し、カテーテルの先端が血流に乗つて右心室流出路から肺動脈の方向を向くのを待つた。

(三) カテーテルが血流に乗つて右心室流出路に向かつた際、川西医師において、カテーテルの先端がものに当たつた感触があり、カテーテルに抵抗を感じたので、カテーテルが壁に当たつている可能性もあると考えて、カテーテルを前後にごくわずか動かしたところ、動かない状態であることが判明した。

(四) 川西医師は、カテーテルが心臓壁を穿孔している可能性があると判断して、カテーテルから手を放し、三ツ浪医師に心内圧を問合わせたところ、非常に低い値であると告げられたので、亡完と会話して自覚症状がないことを確かめ、さらに、心電図等により心臓の働きも正常であることを確認した。

(五) そのうえで、カテーテルの先端の位置を確認するため、カテーテルを通じて少量の造影剤を流したところ、それが心膜腔に貯つたので、カテーテルが心臓壁から外に出ていることが判明した。

(六) 以上の経過を通じて、川西医師において、カテーテルを粗暴に、あるいは慎重を欠いて操作したことをうかがわせるに足る事情はない。

2 以上の事実によれば、本件検査担当医師団、特に川西医師において、前示の注意義務は尽していたというべきである。

3  なお、カテーテルによる穿孔の発生自体から、カテーテル操作の誤りがあつたと推認することが考えられなくもないので検討するに、<証拠>によれば、前記三1(六)のとおり、穿孔の発生頻度は少なく、かつ、その原因が、カテーテル操作の誤りにあるとまではいえないこと、右心房から右心室流出路までは、カテーテルを大きく蛇行させなければならず、カテーテル操作に誤りがなくとも、カテーテルが心臓壁に当たつて穿孔を生ぜしめる可能性が十分にあると考えられること等の事実を認めることができ、これらの事実によると、単に穿孔が生じたことのみをもつて、カテーテル操作に誤りがあつたと推認することはできないというべきである。

4  また、被告は、本件事故の原因は、亡完の右心室流出路付近の壁のぜい弱性にあると主張するところ、仮に、そのようなぜい弱性があるとした場合、本件検査担当医師らにおいて、それを事前に認識すべき義務があり、かつ、それが認識されれば本件検査自体を施行すべきでないとすれば、その点において被告の過失が認められる余地がありうるので検討する。

心臓カテーテルの被験者の心臓の壁のぜい弱性について、事前の検査によつてこれを知ることが必要とされるか否かについて考えるに、心臓カテーテルをはじめとして、<証拠>の各文献によつても、そのようなぜい弱性について、事前に検査すべきことを示唆する記述はみられず、その余の証拠を精査しても、これを積極的に根拠づけるべき事情を見出すことはできない。かえつて、そのような検査は、身体の深奥部に対するものであるから、造影あるいは穿刺といつた検査方法に頼らざるを得ず、その検査自体、一定の危険を伴うものであると推測されること、前記のとおり、心臓カテーテルによる穿孔の発生頻度はかなり小さいものであり、その中でも、血管壁のぜい弱性が原因と考えられるものはより一層少ないと推測されること、これに対して、本件検査が肺癌の診断のためには高い有用性があること等を考慮すれば、被験者の心臓壁等のぜい弱性を検査しないまま心臓カテーテル検査を行つたとしても、それが医学的に不相当であるとはいうことができず、結局、検査担当医師において、被験者の心臓壁のぜい弱性を事前に検査すべき義務があるとは認められない。

五1  以上により、被告に本件事故についての過失はないというべきであるが、原被告間には、本件事故と本件開胸手術の関係についても争いがあるので、それについて検討することにする。

2  被告は、本件事故の穿孔は自然治癒可能なものであつたが、いずれ左肺の肺癌病巣切除のための開胸手術は避けられないとの判断から、穿孔部の縫合と共に肺癌の切除をも目的として本件開胸手術を行つた旨主張し、並河医師及び川西医師の各証言中には、これに沿う部分がある。

3 たしかに、並河医師及び川西医師の各証言によれば、本件開胸手術によつて穿孔部分を視認した際には、穿孔部分からの出血はなく、心膜腔内の貯留液を吸引後カテーテルを抜いても、なお出血はみられなかつた事実を認めることができ、また、前記乙第三号証には、心臓カテーテルの穿孔に対して開胸手術が必要とされるのは、心臓タンポナーデの症状を呈するに至つた場合であると解される記述があり、これらの事実によると、単に穿孔部分の治療のためだけであれば、開胸手術の必要はなかつたといい得なくもない。

しかしながら、川西医師の証言によると、並河医師、森医師らとの話しあいの結果、本件開胸手術を施行することになつたのは、そのままカテーテルを抜いたのでは、穿孔部位から出血する可能性があるとの判断によるものである事実を認めることができる他、<書証>には、「緊急手術」、「心タンポナーデ」等の記載があることからすれば、本件穿孔部位については、外科的にこれを修復する必要があり、本件開胸手術は第一にそれを目的として行われたものと認めることができる。

4 そこで、肺癌の切除の目的について考えるに、川西医師の証言によれば、亡完の肺癌が切除不能と判断された理由である大動脈や縦隔への浸潤は、本件検査によつては知ることができないことを認めることができ、右事実によると、亡完に対して、将来、肺癌の切除のための開胸手術の必要があつたことは、一応認めうるところと考えられる。

しかしながら、前記<書証>には、本件開胸手術が肺癌の切除をも目的としていたことを積極的に示す記載は存在せず、かえつて、「試験開胸」、「緊急手術のさい腫瘍を検するに」などの記載がみられること、並河医師の証言及び原告本人尋問の結果によれば、並河医師は、本件開胸手術前に、原告らに対して穿孔部位の修復についての説明をした事実は認められるが、それ以上に、肺癌の切除についての説明をしていたことまでは認められないことなどから考えると、本件開胸手術は、亡完の肺癌の切除を目的としていたとは認め難く、肺癌に関する限り、試験開胸の域を出ないものと認めるのが相当である。

5 以上によれば、本件事故が生じた以上、本件開胸手術を行なつたことは、医学的に相当な行為であり、やむを得ないものであつたということができる。

六以上のとおりであつて、本件検査担当医師らに、本件検査を行なうについての過失はなく、かつ、本件事故後の処置も相当であつたというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がなく、棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西池季彦 裁判官新井慶有 裁判官松本清隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例